地盤、看板、鞄無しの原点にお笑いを目指した若き頃。天才がいた。

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自分は大学に入学してすぐに弁論部とボクシング部(3年次に退部)に入部。 決して真面目な学生ではなかった。 夜中は都庁の警備員のバイト。
そして、そのバイトで知り合った吉本バッタモンクラブに出ていた芸人の駆け出しと組んでお笑い芸人を目指した。 相方は真面目に芸人を! 私は政治家になる為に顔を売りたくて!
当初は、チワワ&スピッツ、、、後日に、楽器にキック、にコンビ名を変更。 途中から、目黒にあるホリプロ本社の屋上に毎週ネタ見せに通っていた。
その頃のホリプロのお笑いタレントといえば、吉村明宏、松竹梅、そしてバカルディ(現さま〜ず)。 三村のツッコミは良くマネして練習しました。
ネタ見せの勉強会では、イジリー岡田をはじめ徐々にTVに出始めたのが何人かいたのだが、その中でも群を抜いて面白かったのは、フォークダンスde鳴子坂と、ザ ヨコハマの2組であった。 ザヨコハマは、バカルディのコピーっぽかったが、上手だった。 フォークダンスは、別格にめちゃくちゃ面白かった。
しかし、2組とも大成する事なく消えてしまった。 お笑いの世界でTVで笑いが取れるのは、舞台でトリを務められる実力者の更に1/10である厳しい世界をまざまざと見せられた。 2人が亡くなったのは知っていたが、今日、こんな記事を見つけて感慨に耽った。
その後、私は、朝まで生テレビ、で知り合った原田義昭衆議院議員にお声かけ頂き、書生として働きはじめ、コンビは解散するのに時間は要しなかった。
あの頃、青島幸男、横山ノック、西川きよし等、タレント上がりが簡単に議員や首長になる姿に、地盤、看板、鞄なしでも政治家になる為のステップにしようなどという不純な動機で大成出来るような甘い世界ではなかった。
ご冥福を祈ります。
もう一度、フォークダンスde鳴子坂のドラえもん見たいなぁ〜。ユリアンのドラえもんネタは、ここからきてるんじゃないかなぁ。
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